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2013年11月 9日 (土曜日)

松風の音のみならず石ばしる水にも秋はありけるものを(西行)

 西行の歌です。

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「松風如秋といふことを、北白河なる所にて人々よみて、また水声有秋といふことをかさねけるに」

松風の音のみならず石ばしる水にも秋はありけるものを

(まつかぜのおとのみならずいわばしるみずにもあきはありけるものを)

※松風如秋→松風秋の如し

※水声有秋→水声秋有り

※石ばしる→「垂水」にかかる枕詞。ここでは勢いよく流れる水の流れをイメージさせる。

意訳:(『松風如秋』の題にて、北白川というところで人々は歌を詠んたが、それに『水声有秋』という気持ちを重ねて詠んだ歌)松林の中を渡る風の音だけではなく、勢いよく流れる水(の音)にも秋を感じるものですよ。

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 この歌、意訳すれば上のようになります。単純な歌です。西行はどういうつもりで詠んだのでしょう?

8051

 人々が、「松林に吹く風に秋を感じる」という趣向で歌を詠んでいるとき、西行ひとりが、「いや、流れる水の音にも秋を感じますよ」と主張してるわけですから、取りようによっては西行自身の感性を自慢しているようにも取れます。あるいは、「松風如秋」の題は観念的で、実景にそぐわないから気に入らない、ということでしょうか? 「水声有秋」のほうが、よほど秋らしいというのでしょうか?・・・

8052

 いえいえ、そうではないですね。西行は『』に注目しました。秋といえば、古今集の『秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる』の歌があります。この歌は、日本の秋のイメージを決定づけた感があります。なればこそ、西行の時代の人々も「松風如秋」なる題で歌を詠むわけです。でも、秋を象徴するのは風の音だけでしょうか? そうではないと西行は言います。秋なればこその水の音があります。拡大解釈すれば、虫の音・鳥の声もあります。そのことを西行は言っているわけです。

 歌としては、三句目に置かれた「石ばしる」が小休止になって、全体のリズムをよくしています。とはいえ、万葉集志貴皇子の『石ばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも』には、到底かないませんけどね(笑)

【805】

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