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2013年11月26日 (火曜日)

気のつかぬ隣の顔や暮の秋(炭太祇)

 炭太祇の句です。

気のつかぬ隣の顔や暮の秋】(きのつかぬとなりのかおやくれのあき)

 (意訳)晩秋の夕暮れ時。身近な人が何事かに集中している場面に遭遇した。声をかけてみたが、気づかずに知らん顔だ。いったい何をしているのだろうか。横顔の神々しさに、近寄りがたいものを感じた。

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 気のつかないのは声をかけた相手でしょうか、それともかけられた自分自身でしょうか。近くから声を掛けても無視される、あるいは声を掛けられていることに気づかないでいるのは往々にしてあることで、人は何事でも一生懸命になるとまわりで起こっている出来事に気づかなくなります。物事に集中する姿は、ある意味人間の美しさの象徴です。それを太祇は「暮の秋」の季節感と取り合わせました。日々の何気ない一場面をとらえたスナップ写真のような句に、人間の神々しさを表現したかったのだと思います。ちなみに「秋の暮」とあれば単に秋の夕暮れ時のことで、「暮の秋」は秋の終わり、晩秋の意味と捉える向きが多いようです。

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 さて、先日の紅葉狩り。同行の家人に声をかけても、そそくさと知らん顔して歩いて行きます。あまりに紅葉が美しいからでしょうか…

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 いえいえ、最近ちょっと耳が遠くなりかけているだけでした(苦笑)

【822】

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