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2013年11月27日 (水曜日)

山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり(春道列樹)

 古今集秋下より、春道列樹(はるみちのつらき)の歌です。

山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり

(やまがわにかぜのかけたるしがらみはながれもあえぬもみじなりけり)

(意訳)山中の小川に、風のせきとめたしがらみとは、流れようとして流れないモミジだったのだなぁ。

 百人一首の32番です。作者の春道列樹は、勅撰集に5首しか入集していないにもかかわらず、この歌を百人一首にとられたことで有名になりました。たしかにいい歌です。「流れもあへぬ」に、散るモミジ葉が行き先を失って、まさに“あえ”いでいるかのような印象を受けます。日本語表現が美しいです。

 とはいえ、それは今になって感じることで、うん十年前、高校生の時、古文の授業で次のように教えられたのを思い出します。

 “「山川」は、「やまがわ」と発音する。この場合は山の中を流れる川の意味と考える。「やまかわ」と読めば「山と川」の意味になる。「しがらみ」は漢字で「柵」と書き、杭などを使って川をせき止める柵(さく)のこと。それが転じて、現在ではまつわりついて邪魔をするものにたとえるようになった。「あへぬ」は「敢ふ」の未然形「敢へ」に打ち消しの助動詞「ぬ」がついた形。「なり」は断定の助動詞。「けり」は詠嘆をあらわす助動詞。…”

 思い出すのは文法や用語のことばかりで、言葉の味わいとか、作者の心は、ほとんど理解していませんでした。ただ、古典は難しくておもしろくないと感じるばかりでした。

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 先日、南禅寺の天授庵を拝観した際、境内を流れる小川に「流れもあへぬ」紅葉を見つけました。色とりどりのモミジが川面を覆っていました。

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 私は、春道列樹は「流れもあへぬ紅葉」を美しいと感じて歌に残したのだと確信しました。同様に、私もこの風景を美しいと感じました。古典は鑑賞すべきものだと思います。鑑賞とは何かといえば、作者の感動を時代を超えて共有することだと思います。その点で、私は天授庵の庭園に満足しました。

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