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2013年11月21日 (木曜日)

掃音も聞へてさびし夕紅葉(蓼太)

 「西の暁台、東の蓼太」とも言われる天明俳諧の雄、大島蓼太(おおしまりょうた、1718-1787)の句です。

掃音も聞へてさびし夕紅葉】(はくおともきこえてさびしゆうもみじ)

(意訳)晩秋の夕暮時、落ち葉を掃く音が聞こえる。紅葉のさびしさが一層増すというものだ。

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 晩秋の夕暮れ時の物悲しさを詠んだ句です。たとえばお寺の境内を散歩している場面を想像します。寺男が庭を掃いている風景に『夕紅葉』を取り合わせました。

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 一句のポイントは「掃音も」にあります。『~』というからには、 ほかにも寂しさを催す何かがあるわけです。思いつくのは枕草子の次のフレーズです。かつて清少納言は次のように書きました。

 『…秋は夕暮。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛びいそぐさへあはれなり。まいて雁などのつらねたるがいとちひさく見ゆるは、いとをかし。日入りはてて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず…』

 カラスの鳴き声、風の音、虫の音、これらはいずれも自然の音です。しかし秋の物悲しさを感じる音はそれだけでしょうか。“人間の日々の営みにも秋を感じさせる音はある。たとえばお寺の鐘の音、読経の声、そして庭を掃く音にも深まる秋を感じるではないか。これらは、秋の夕暮れの寂しさをさらに増幅させている” というのです。

 この句、一見平板で素朴な句のようにみえて、実は『』の一字に、奥深い意味を持たせているのかもしれません。

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