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2013年12月10日 (火曜日)

神無月風に紅葉の散る時はそこはかとなくものぞ悲しき(藤原高光)

 新古今集冬歌より藤原高光の歌です。

神無月風に紅葉の散る時はそこはかとなくものぞ悲しき

(かんなづきかぜにもみじのちるときはそこはかとなくものぞかなしき)

(意訳)神無月の風に紅葉の散る時は、なんとなく物悲しいものだ。

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 秋の終わり、落葉の風情を詠んだ歌です。歌の眼目が「そこはかとなく」にあるのは言うまでもありません。なんとなく、どうということもなく、とりとめもなく、の意味であることは、現代語からも想像できます。「そこはかとなく」は、“其処は彼となく”、あるいは“其処計となく”を語源としているのだそうです。

 『そこはあそこではなく』、あるいは、『そこばかりではなく』という意味なんでしょうか。わかったようでわからない、日本語特有のあいまいな言い方です。

 更級日記に

【そこはかと知りて行かねど先に立つなみだぞ道のしるべなりける】

の歌があります。この「そこはか」は、『そこはかとなく知って』と、『そこが墓であると知って』を掛けています。

 『其処は彼』・『其処計』が『そこはか』になり、『そこ墓』へと導かれました。さらに探せば『そこは蚊』や『底は下』とシャレた歌も見つかるかもしれません(笑)

【836】

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