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2013年12月17日 (火曜日)

唇で冊子かへすや冬ごもり(涼袋)

 江戸時代中期の人、涼袋の句です。

唇で冊子かへすや冬ごもり】(くちびるでそうしかえすやふゆごもり)

意訳:(コタツに入って)冬の読書を始めたものの、あまりの寒さに、手を出してページをめくるのも億劫だ。いっそのこと唇でめくってみるか。それこそ冬ごもりというものだ。

 「冊子(草子)」は、綴じてある書物、本のことです。仮名草子・浮世草子を匂わせており、読んでいるのは通俗小説のたぐいという意味でしょうか。それを唇で返すとはどういうことか? この句、はじめは何を言っているのかわかりませんでした。解説書に「置炬燵に手を入れたまま書物を広げていると、手を出すのも億劫で…」とあり、ようやく場面が飲み込めた次第です。

 とはいうものの、唇で本のページをめくるなんてことが本当にできるのでしょうか。よほど重量感のある本の、それも左右にほぼ均等に開いたところでないと、まず無理です。読み始めと読み終わりの部分は手を離すと勝手に閉じてしまいます。また、コタツの高さによっては、唇というよりアゴでめくるしか仕方ないような気もします。実際にはできそうもないことを、空想で詠んだというのが実情でしょう。

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 建部涼袋(たけべりょうたい、1719ー1774)は、弘前藩家老の次男でした。二十歳のときに不義をはたらいて実家を追われ、俳諧や画業を志して全国各地を転々とします。のちに和歌に移り、五七七の片歌を提唱したほか、小説や国学の分野でも多くの著作を残しています。

 波乱万丈の人生で、多才な人であったのはわかりますが、このような句を詠むのは、息抜きの意味もあったのでしょうね。ここは、コタツに入って唇で本をめくっている涼袋さんの姿を想像しつつ、季語「冬ごもり」との取り合わせの妙を、単に笑っておきたいと思います。

【843】

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