霜枯れはそことも見えぬ草の原誰にとはまし秋の名残を(俊成卿女)
新古今集冬歌より皇太后宮大夫俊成女の歌を鑑賞します。
「題しらず」
【霜枯れはそことも見えぬ草の原たれに問はまし秋の名残を】
(しもがれはそこともみえぬくさのはらたれにとわましあきのなごりを)
(意訳)霜に覆われて枯れている様子は、(この間まで秋の花の咲いていた)その場所とは思えない草の原になっている。いったい誰に問えばよいのだろうか、秋の名残を。
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ある人が言いました。『いい歌だ。いかにも日本人が好みそうな歌だ』と。説明を聞けば、
1、この歌は、狭衣物語の「尋ぬべき草の原さへ霜枯れてたれに問はまし道芝の露」を本歌としている。(本歌取り)
2、「尋ぬべき草の原」を「そことも見えぬ草の原」と詠み変えて作歌場面をあいまいにし、具体的なモノであった「道芝の露」を「秋の名残を」として抽象的なイメージを持たせた(情緒的・幻想的)
3、「草の原」でいったん切り、結句の「名残を」で余情を持たせた(三句切れ)
4、本歌と比べて具体的なイメージはなくなったが、その分、鑑賞する者の想像力に訴えかける作品に仕立て上げた(観念的)
とのことです。
「本歌取り」「情緒的」「幻想的」「観念的」。教科書に書いてあるように、これらは新古今調としてあげられる特徴です。つい、テストのためだけの言葉の羅列に過ぎないように思ってしまいますが、言葉にすると、このように言うしか仕方ないのだそうです。そして谷崎潤一郎が次のように書いていると教えられました。
『この読本(注:谷崎著「文章読本」)は始めから終りまで、ほとんど含蓄の一事を説いているのだと申してもよいのであります』
なるほど。日本語には含蓄の美があるのかもしれません。日本人は含蓄を好むのですね。そう言われてみれば、この歌もなんとなく理解できる気がします。でも、含蓄ってどういうこと? やっぱりわかったようでわからないです。なかなか難しいなぁ。
【833】
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