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2013年12月 3日 (火曜日)

ひまもなく散るもみぢ葉にうづもれて庭のけしきも冬ごもりけり(崇徳院)

 千載集巻六より、崇徳院の歌です。

ひまもなく散るもみぢ葉にうづもれて庭のけしきも冬ごもりけり

(ひまもなくちるもみじばにうずもれてにわのけしきもふゆごもりけり)

(意訳)絶え間なく(そして隙間なく)、散る紅葉の葉に埋もれて、庭の様子も(人と同様に)冬ごもりしたことだ。

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 「ひまも」、「けしきも」と、係助詞「」を二度使っています。

 ①、モミジの葉が庭を埋め尽くすのに、いったいどのくらいの時間がかかるでしょう。作者はその間、庭の様子をずっと見続けていたのでしょうか。そんなはずはありません。崇徳院の眼前にはただ、庭一面に散り敷いた紅葉の落葉があるだけで、散りゆく場面は空想の世界です。ひっきりなしに散るモミジ葉。庭を埋め尽くしていく落葉。冬枯れていく庭園のわびしくも妖艶な雰囲気を一首に結実させました。「ひまも」の「」に、空間と時間の両方の意味を掛けています。

 ②、現代語で「けしき」というと、もっぱら風景の意味の「景色」ですが、古語では「気色」と書きました。「気色」は、人の態度・表情などを意味します。ここでは庭を擬人化して、人間世界も冬ごもりしていることを暗示しています。「庭のけしきも」の「」に、自然界と人間界の両方の意味を掛けています。

 ③、短歌や俳句などの短詩に「~も」という係助詞を使うと、解釈に想像を働かせる必要が生じます。そうすると、どうしても理屈に落ちてしまうことになります。この歌などは、自然賛歌の叙景歌のように見えて、実はひとひねりもふたひねりもされた作品であることがわかります。人によって好き嫌いの分かれる歌だと思います。

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