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2014年1月31日 (金曜日)

わかい時見ぬ暁のしぐれ哉(来山)

 江戸時代中期の大阪の俳人、小西来山の句です。

わかい時見ぬ暁のしぐれ哉】 (わかいときみぬあかつきのしぐれかな)

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意訳:(夜明けころ、雨が降っているのに気づいて)そういえば、若い時はこんな時間に時雨れているのを見たことがなかったなぁ。私も年をとったものだ。

 「暁のしぐれ」に老いのわびしさが出ています。“夜明け頃”を言い表す言葉にはいろいろあります。詩歌によく使われるものとしては、暁(あかつき)・曙(あけぼの)・東雲(しののめ)・彼誰(かわたれ)・有明(ありあけ)・朝まだき・朝ぼらけでしょうか。二字熟語として、黎明(れいめい)・払暁(ふつぎょう)などもあります。それぞれ、微妙に時間帯が違うのかな? と思って少し調べてみましたが、難しくて明確にすることはできませんでした。

 ちなみに、「暁」は「明時(あかとき)」が変化したのだそうです。有名な万葉集の大伯皇女の歌、

【わが背子を大和へ遣るとさ夜深けて暁露にわが立ち濡れし】

 は、万葉仮名では 「吾勢枯乎 倭邊遣登 佐夜深而 鶏鳴露尓 吾立所霑之」 となり、鶏鳴を「あかとき」と読ませています。ということは、ニワトリの鳴く時間が暁でしょうか? ならば午前2時ころとも考えられ、かなり早い時間になります。

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 来山の句、結局のところ、年をとると夜寝られなくなると言っているだけのようです。筆者も若いころは朝まで熟睡だったのに、最近は深夜に目が覚めてトイレに行くことがしばしばです。老いを実感して、いささか寂しくなります。

【888】

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