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2014年1月 4日 (土曜日)

新しき年の初に思ふどちい群れてをれば嬉しくもあるか(道祖王)

 万葉集より道祖王の歌です。

新しき年の初に思ふどちい群れてをれば嬉しくもあるか】4284

(あらたしきとしのはじめにおもうどちいむれておればうれしくもあるか)

(意訳)新年の初めに、気の合う者同士が集まっているのは、なんとうれしいことだろうか。

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 作者の道祖王(ふなどのおおきみ)は奈良時代の皇族。天武天皇の孫にあたる人で、一旦は皇太子にたてられますが、素行が悪いと難癖をつけられて廃されました。万葉集にはこの一首だけ知られています。

 この歌、「新しき」を『あらたしき』と読みます。今でも「新た」と書いて『あらた』と読むので別に不思議ではないのですが、あらためて『あらたしきと発音しなさい』と言われると、いかにも荘厳な感じがして、現代人には新鮮な印象です。「思ふどち」の「どち」は「友達」の「だち」と同根の言い方で、「い群れて」の「い」は接頭語です。多少は強調の意味もあるでしょうけど、どうやら言葉の調子を整えるために使われているようです。

 ゴツゴツとした歌ながらも、素朴で意味はとりやすいです。歌から性格を判断するわけではないですが、道祖王は自分の気持ちをストレートに主張しすぎる人だったのではないでしょうか。栄枯盛衰・毀誉褒貶は世の常。この歌を詠まれたのが天平勝宝5年の正月。その4年後の天平勝宝9年には、橘奈良麻呂の乱にかかわったとして、拷問の末に亡くなります。いい歌を詠まれているだけに残念な最期です。

【861】

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