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2014年1月17日 (金曜日)

雲をいでゝわれにともなふ冬の月風や身にしむ雪や冷たき(明恵上人)

 玉葉和歌集冬996、明恵上人の歌です。

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「冬の比、後夜のかねのをときこえければ峯の坊へのぼるに、月、雲よりいでゝ道ををくる、みねにいたりて禅堂にいらんとする時、月また雲をおひてむかひの峯にかくれなんとするよそをひ、人しれず月のわれにともなふかと見えければ」

雲をいでゝわれにともなふ冬の月風や身にしむ雪や冷たき

(くもをいでてわれにともなうふゆのつきかぜやみにしむゆきやつめたき)

意訳:冬の頃、後夜の鐘の音が聞こえたので勤行のため峰の僧坊へ登って行くと、月が雲から出て道を追ってくる。峰に着いて禅堂に入ろうとする時、月もまた雲を追いかけて向こうの峰に隠れようとする様子が、人知れず月が私に連れだっているかと見えたので…

雲を出て私についてくる冬の月よ。お前も風が身に沁みるのか? 雪が冷たいのか?

※後夜=夜半から朝までの時間。

※峯の坊=栂ノ尾、高山寺の後の山の禅堂。花宮殿。

 長い前書きに、修行中の明恵上人の後ろからついてくる月を、自分と同行の身の上として思いを寄せた、とあります。作品には必ず作者の人柄があらわれると言います。この歌などはその典型例です。歌に技巧というものが無く、言葉に無駄を感じません。厳冬の深夜を詠んでいるにもかかわらず、どこかほんわかした気分になれるのは、上人の包容力のたまものです。いい歌です。

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 ところで、先日の帰宅時、ふと見上げるときれいなお月さまが目に入りました。興趣を感じた私が、明恵上人を真似て 『…風や身にしむ雪や冷たき』 とつぶやいたところ、すぐ前を歩いていた女性に聞こえたらしく、女性はそのまま足早に去っていきました。

“あれ? なんで?”

 じぇじぇじぇ!!!(ちょっと古いか)、念のため書いておきますけど、後からついてきているのはお月さまで、このおじさんではありません。…(苦笑)

【874】

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