雲をいでゝわれにともなふ冬の月風や身にしむ雪や冷たき(明恵上人)
玉葉和歌集冬996、明恵上人の歌です。
ーーーーーーーーーー
「冬の比、後夜のかねのをときこえければ峯の坊へのぼるに、月、雲よりいでゝ道ををくる、みねにいたりて禅堂にいらんとする時、月また雲をおひてむかひの峯にかくれなんとするよそをひ、人しれず月のわれにともなふかと見えければ」
【雲をいでゝわれにともなふ冬の月風や身にしむ雪や冷たき】
(くもをいでてわれにともなうふゆのつきかぜやみにしむゆきやつめたき)
意訳:冬の頃、後夜の鐘の音が聞こえたので勤行のため峰の僧坊へ登って行くと、月が雲から出て道を追ってくる。峰に着いて禅堂に入ろうとする時、月もまた雲を追いかけて向こうの峰に隠れようとする様子が、人知れず月が私に連れだっているかと見えたので…
『雲を出て私についてくる冬の月よ。お前も風が身に沁みるのか? 雪が冷たいのか?』
※後夜=夜半から朝までの時間。
※峯の坊=栂ノ尾、高山寺の後の山の禅堂。花宮殿。
長い前書きに、修行中の明恵上人の後ろからついてくる月を、自分と同行の身の上として思いを寄せた、とあります。作品には必ず作者の人柄があらわれると言います。この歌などはその典型例です。歌に技巧というものが無く、言葉に無駄を感じません。厳冬の深夜を詠んでいるにもかかわらず、どこかほんわかした気分になれるのは、上人の包容力のたまものです。いい歌です。
ーーーーー
ところで、先日の帰宅時、ふと見上げるときれいなお月さまが目に入りました。興趣を感じた私が、明恵上人を真似て 『…風や身にしむ雪や冷たき』 とつぶやいたところ、すぐ前を歩いていた女性に聞こえたらしく、女性はそのまま足早に去っていきました。
“あれ? なんで?”
じぇじぇじぇ!!!(ちょっと古いか)、念のため書いておきますけど、後からついてきているのはお月さまで、このおじさんではありません。…(苦笑)
【874】
« 勧学文(朱熹) | トップページ | 寒月や小石のさはる沓の底(蕪村) »
「 勝手に鑑賞「古今の詩歌」」カテゴリの記事
- 夏風邪はなかなか老に重かりき(虚子)(2014.05.21)
- 後夜聞仏法僧鳥(空海)(2014.05.20)
- 夏といへばまづ心にやかけつはた(毛吹草)(2014.05.19)
- 絵師も此匂ひはいかでかきつばた(良徳)(2014.05.18)
- 神山やおほたの沢の杜若ふかきたのみは色にみゆらむ(藤原俊成)(2014.05.17)
「へたな話」カテゴリの記事
- 散残るつゝじの蕊や二三本(子珊)(2014.05.08)
- 春はただわが宿にのみ梅咲かばかれにし人も見にと来なまし(和泉式部)(2014.02.28)
- 笹の葉におく霜よりもひとり寝る我が衣手ぞさえまさりける(紀友則)(2014.02.09)
- 年よればなほ物陰や冬ざしき(智月)(2014.02.01)
- 蟹(藤井竹外)(2014.01.29)
コメント