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2014年1月30日 (木曜日)

枯々て光を放つ尾花哉(几董)

枯々て光を放つ尾花哉】(かれかれてひかりをはなつおばなかな)

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 高井几董(1741-1789)の句集「井華集」に見つけました。「義仲寺」との前書きがあります。義仲寺といえば芭蕉の墓のあるところで、枯尾花といえば芭蕉の【ともかくもならでや雪の枯尾花】が思い出されます。

 「枯々て」と「光を放つ」の取り合わせがいいですね。几董は芭蕉から約百年後の人です。芭蕉の生きていた時代はどんどん遠く枯れ果てていくけれど、その作品は人々の心をとらえて離さず、ますます光を放っているというのです。芭蕉が俳聖と呼ばれるようになったのは、几董とほぼ同時代の蝶夢の影響が大きいそうです。この句、其角の【なきがらを笠に隠すや枯尾花】、蕪村の【我も死して碑に辺せむ枯尾花】と同様、淡々とした表現に、芭蕉への思慕と自身の俳諧に臨む姿勢がよくあらわれていると思います。

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