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2014年1月16日 (木曜日)

勧学文(朱熹)

 朱熹の「勧学文」を勝手に鑑賞してみます。

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「勧学文」

勿謂(いうなかれ)

今日不学而有来日(こんにちまなばずとも らいじつありと)

勿謂(いうなかれ)

今年不学而有来年(こんねんまなばずとも らいねんありと)

日月逝矣 歳不我延(じつげつゆけり とし われとのびず)

嗚呼老矣 是誰之愆(ああおいたり これ だれのあやまちぞ)

※日月逝矣=論語陽貨編にある『日月逝矣 歳不我与』による。

意訳:言ってはいけない、「今日勉強しなくても明日がある」と。 言ってはいけない、「今年学ばなくても来年がある」と。 月日は過ぎて、歳月は私とともに延びてはくれない。 ああ、歳とったものだ。むなしく老いてゆくのは、いったい誰のあやまちだろう。

 著名な作者の詩文には、この詩と同想の作品、たとえば陶淵明の「歳月不待人(雑詩其一)」、李白の「夫天地者萬物之逆旅光陰者百代之過客(春夜宴桃李園序)」、杜甫の「人生七十古来稀(曲江二首、その二)」など、時間の経過を惜しむものが多いです。人間年をとると、少なからずこのような感慨に陥るようです。人生はとりかえしがつかないだけに、自らを憐れみ鼓舞するのでしょう。でも、朱熹・陶淵明・李白・杜甫と、これらの人々は、ある意味、その道を極めた人ばかりです。レベルが違うといえばそれまでですが、何か不思議な感じもします。

 それともうひとつ。「謂ふ勿かれ 今日学ばずとも来日有りと。」は、たしかに名句ですけど、「明日があるさ」もまた名句です(笑)

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謂ふ勿かれ 今日学ばずとも来日有りと

謂ふ勿かれ 今年学ばずとも来年有りと

日月逝けり 歳我と延びず

嗚呼老いたり 是れ誰の愆ちぞ

【873】

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