年よればなほ物陰や冬ざしき(智月)
蕉門の女流俳人、智月の句を勝手に鑑賞します。
【年よればなほ物陰や冬ざしき】(としよればなおものかげやふゆざしき)
(意訳)年をとると、冬の暖かい座敷にいても、さらに物陰に居場所を占めるようになる。
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河合智月(かわいちげつ、1633?-1718?)は京都の生まれ。若いころは宮中の女房として御所に上がったこともあるようですから、それなりの才女ではなかったかと思われます。大津の裕福な家に嫁ぎますが、夫と死別し、尼となって芭蕉の俳諧に親しみました。弟の乙州とともに、芭蕉のパトロン的存在だったといわれます。長命な上に裕福な暮らしで、火鉢や炬燵を置き、障子やふすまを閉め切って寒気が入らないようにしてある座敷に彼女は起居していました。現代でいえば万全の防寒対策というところです。
けれども彼女は、そんな何不自由ない境遇にもかかわらず、座敷の物陰に自らの居場所を求めてしまうというのです。どうしてでしょう。ただ寂しいだけでしょうか? 結句の「冬ざしき」に、彼女の心を読み解くヒントがあります。
「冬ざしき」は物質的な裕福さの象徴です。智月尼の場合、老後の金銭面での心配はなく、部屋も暖かい。でもそれだけでは彼女の心は満たされません。精神的に満たされていないのです。それはたぶん、心を許して話すことのできる相手がいないからです。
この句、女性らしいおだやかな句なんですが、智月尼の卑屈な性格が出ています。姨捨山ではないですが、江戸時代にも高齢者対策は必要でした。現代ならば、介護保険でデイサービスを利用するようおススメしたいところです。そうすれば座敷の真ん中で笑顔で座っていられるようになるでしょう。智月おばあちゃんには、ぜひとも幸せな老後を送っていただきたいです。
…なんちゃって(笑)
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