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2014年2月19日 (水曜日)

つれづれと眺めくらせば冬の日も春のいくかに異ならぬかな(和泉式部)

 平安時代の女流歌人、和泉式部の歌です。

つれづれと眺めくらせば冬の日も春のいくかに異ならぬかな

(つれづれとながめくらせばふゆのひもはるのいくかにことならぬかな)

(意訳)時間をもてあまして、何をするともなく景色を眺めていると、冬の日であっても、春のいく日かと変わらないものだなあ。

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 和泉式部集には「つれづれの眺め」、 和泉式部続集には 「冬頃、荒れたる家にひとり眺めて、待たるる事のなかりしままに、言ひ集めたる」との詞書があります。「つれづれ」は、することもなくぼんやりと時間をもてあますこと。「いくか」は“幾日”です。日中の短い冬の日でも、何もすることなくぼんやりしているから、春の日永と変わらないくらい日の暮れるのが遅く感じるというのですね。なるほど、うまいこと言うものです。

 ポイントは、続集の詞書にある「待たるる事のなかりしままに、言ひ集めたる」でしょうか。『(訪ねて来る人を)待つあてもないので、いろいろな歌を詠んでみた』というのは、裏を返せば人恋しさを訴えているわけです。恋多き彼女にとって「つれづれ」な時間は耐えがたいものだったでしょう。和泉式部といえば情熱の歌人です。この歌は単に叙景歌としてすばらしいだけでなく、抑圧された恋心も読みとれます。

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