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2014年2月20日 (木曜日)

見ぐるしき畳の焦や梅の影(几菫)

 蕪村の門人、几董の句です。

見ぐるしき畳の焦や梅の影】(みぐるしきたたみのこげやうめのかげ)

(意訳)庭先の梅を愛でていると、縁側の畳の焦げているのが目に入った。梅の美しさと比べて、どうも気になって仕方ない。見苦しい…。

ーーーーー

 瑕瑾(かきん)という言葉があります。「瑕」がキズで「瑾」が美玉です。熟語の意味は、全体としてはすぐれているのだけれども、ちょっとしたキズや欠点があること、です。いわゆる「玉にキズ」です。おそらくこの句は、そのことを言っているのだと思います。

【今回の梅見は几董の発案だった。招待客は口々に「きれいな梅の花だねぇ」とホメてくれた。そんな中、几董は縁先の畳の一部が焦げているのを見つけた。 『おや? これは知らなかった。いったいいつから焦げてたんだ?』 見る見るうちに几董の機嫌は悪くなる。招待客も気づいたようだ。何人かが苦笑いしている中、『これではせっかくの趣向が台なしだ。見苦しい!』 と、顔をしかめながら、焦げた畳に敷物を敷いて隠している几董。】

 と、勝手に場面を想像してしまいました(笑) 

 この句、「畳の焦」と「梅の影」の取り合わせが絶妙です。なんといっても「こげ」と「かげ」が利いています。焦げた畳に怒りながらも、押韻を忘れない几董のお手柄です。笑えますね。

【908】

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