歌も詩も細字にかゝん花の友(京童より)
(西寺跡)
西寺跡を訪ねる機会がありました。平安京創設当時は東西に大寺を設けましたが、いまは東寺だけが残って西寺は消滅してしまいました。以下は、京都で最初の名所案内記ともいうべき「京童」にある句です。
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『西寺のしゅびん(守敏)塚』
「これしゅびんの御寺のあと也。つらぬける玉の数もかひなく。草ふかき野となり。あらしはげしく。露のたまちるばかりにていまは守敏塚と名をいひ出す人もまれまれなり。」
【歌も詩も細字にかゝん花の友】(うたもしもさいじにかかんはなのとも)
京童(きょうわらべ)は江戸時代初期の京都の観光案内書です。中川喜雲によってあらわされました。このころ、すでに西寺は跡形もなかったことがわかります。
前書きにある「守敏」とは、平安時代初期の僧です。空海に東寺が与えられた際、同時に西寺をあたえられました。空海とは何かと対立しました。かなりライバル意識があったように思います。空海とは、神泉苑での雨乞い競争に敗れ、そのため西寺は衰退していったとも言われています。
西寺跡を示す表示板です。「細字」で書いてあるのはシャレかな?(笑)
現在の正式名称は「唐橋西寺公園」です。標識以外、往古をしのぶものは何もありません。
【942】
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