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2014年3月14日 (金曜日)

君いくら我はやつくし五七本(李東)

 昨日の慈円の歌に続き、土筆を詠んだ句を鑑賞します。加賀焦門、李東の作品です(卯辰集より)

君いくら我はやつくし五七本】(きみいくらわれはやつくしごしちほん)

(意訳)君は土筆をいくら採ったのかな? 私は早くも五~七本採り尽くしましたよ。

ーーーーー

 「土筆」と「尽し」を掛けているのはすぐにわかりますが、実は、もうひとひねりしてある気がします。「いくら」に何かが隠されているような感じです。「五七本」は五七五に掛けて、『自分は土筆を摘みながら一句詠んだよ』と主張しているようにも思えます。う~ん、ちょっと難解です。

 李東(りとう)は近藤氏。金沢の生まれで大庄屋だったものの、あまりの俳諧好きが高じてお役を免じられたのだとか。それだけの人ですから、おそらくこの句も一筋縄の解釈ではダメでしょう。

 とはいえ、言葉遊びの域を出ない作品であることは間違いないです。残念ながら、句としての「うつくしさ」に「欠け」ますね。…なんのこっちゃ(笑)

9302 (北野天満宮梅苑にて)

【930】

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