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2014年3月29日 (土曜日)

いづくにも帰るさまのみ渡ればやもどり橋とは人の言ふらん(和泉式部)

 和泉式部の歌です。

「やましろのもどり橋を」

いづくにも帰るさまのみ渡ればやもどり橋とは人の言ふらん

(意訳)どこへゆく時にも、帰る時にだけこの橋を渡るから、戻り橋と人は言うのだろうね。

 平安時代、漢学者の三善清行が亡くなったとき、熊野からかけつけた息子の浄蔵がこの橋の上で父の葬送に出会い棺にすがったところ、清行がしばし生き返って会話を交わしたことからその名がついたとされるのが「一条戻橋(いちじょうもどりばし)」です。

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 一条戻橋には、渡辺綱が美人に化けた鬼に「夜更けで帰り道が不安だから、送ってほしい」と言われて、愛宕山に連れて行かれそうになった伝説があります。

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 一条戻橋には、安倍晴明が橋の下に式神を住まわせたという伝説もあります。高倉天皇の中宮であった建礼門院徳子(平清盛の娘)の御産の際、母親の平時子が橋占いをしたとも言われます。

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 一条戻橋は、秀吉に切腹させられた千利休の首がにさらされた場所とも言われます。江戸時代には、処刑される前に市中を引き回された囚人が、一条戻橋で役人から「今度は真人間になって戻って来いよ」と諭される場所でした。

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 戦争中、出征する兵士は無事に帰れるように一条戻橋を渡り、逆に嫁入りする女性は出戻りとならぬよう一条戻橋を忌み嫌いました。

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 現在、橋の下を流れる堀川は整備され、遊歩道ができています。「伝説の橋」と書いた京都市の表示板がありました。和泉式部の歌は、まさに一条戻橋を一言で言い表しています。鑑賞するにあたって数枚の写真を撮りましたが、あまりの伝説の多さに、いささか緊張しました。

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