なさけなく折る人つらしわが宿のあるじ忘れぬ梅の立ち枝を(天神御歌)
この季節、梅の花が盛りを迎えています。梅といえば真っ先に思い浮かぶのが天満宮です。新古今集巻19神祇歌に、天神(菅原道真)御歌とされるもので、境内の梅は折り取ってはいけないことを詠んだ歌があります。
【なさけなく折る人つらしわが宿のあるじ忘れぬ梅の立ち枝を】(なさけなくおるひとつらしわがやどのあるじわすれぬうめのたちえを)
意訳:無情にも折るとはつらいことだ。主人の私を忘れずにいてくれる我が家の梅の枝なのに。
この歌には詞書(後書き)があります。
「この歌は、建久二年の春のころ、筑紫へまかれりける者の、安楽寺の梅をおりて侍りける夜の夢に見えけるとなん」(この歌は、建久二年の春のころ、筑紫の国にやってきた者が、安楽寺の梅を折った夜、夢に見たのだとのこと)
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建久二年は西暦1191年です。安楽寺は現在の太宰府天満宮に同じで、この年の春、だれかが天満宮の梅の枝を折ったところ、その夜の夢に菅公が出て来て恨み事を言ったというのです。
同じような話が、延慶本平家物語巻4「安楽寺由来事付霊験無双事」にもあります。夢に菅公が出てくるくらいならまだしも、こちらは折り取った男は神罰で亡くなったことになっています。該当箇所を引用してみます。
『…サレバ今ノ平家滅給テ後、文治ノ比、伊登藤内、補鎮西九国之地頭、下リタリケルニ、其郎従ノ中ニ、一人下郎、無法ニ安楽寺ヘ乱レ入テ、御廟ノ梅ヲ切テ、宿所ヘ持行テ薪トス。其男即長死去シヌ。藤内驚テ、御廟ニ詣テヲコタリヲ申。通夜シタリケルニ、御殿ノ内ニケ高キ御音ニテ、
【情ナク切人ツラシ春クレバ主ジワスレヌヤドノムメガエ】
不思議ナリシ御事也。…』
意訳:…今の平家が滅亡した後、文治年間のころ、 伊登藤内(いとのとうない)という人が鎮西九国之地頭(ちんぜいくこくのじとう)に任命されて太宰府にやってきたところ、つき従う者の内で身分の低い者が、無法にも安楽寺へ乱入して境内の梅を切って宿所へ持って行き、薪(たきぎ)にしてしまった。その男は死亡した。驚いた藤内は、御廟におまいりして、不手際をお詫び申し上げた。夜通し祈願したところ、御殿の中から甲高い声で(歌が聞こえた)
【情けなく切る人つらし春来ればあるじ忘れぬ宿の梅が枝】(無情にも枝を切る人がいるとはつらいことだ。春が来るたびに主人を忘れないわが家の梅の枝なのに)
不思議なことがあるものだ。…
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文治年間は西暦1185-1189で壇ノ浦で平家が滅亡した直後の元号です。伊登藤内なる人物についてはよくわかりませんが、太宰府の近く、福岡県田川市に「位登」という地名があり、関係があるのかもしれません。新古今集の詞書とは数年の違いがあるものの、ほぼ同じ歌が詠まれているので、元ネタは一つの話のようです。
歌の主が天満天神その人というのですから、今となっては、全国の天満宮に共通したタブーだと思われます。天満宮の梅は折り“取る”ことなく、せいぜい写真に“撮る”だけにしておきましょう。
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