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2014年3月13日 (木曜日)

覚めぬれば思ひ合はせて音をぞ泣く心づくしの古への夢(慈円)

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 北野天満宮にちなんだ歌を一首、新古今集巻19神祇歌より、前大僧正慈円の作品を鑑賞します。

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「北野によみて奉り侍りける」

覚めぬれば思ひ合はせて音をぞ泣く心づくしのいにしへの夢

(さめぬればおもいあわせてねをぞなくこころづくしのいにしえのゆめ)

意訳:(寝ているところから)目覚めると、その境遇を思い合せて音(声)をあげて泣くのだ。昔(筑紫の国で)心を尽された菅原道真公を夢にみたので。

 前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん、1155-1225)は、平安時代末から鎌倉時代初めにかけての僧で、摂政関白をつとめた九条兼実の弟です。幼いときに出家し、天台座主をつとめました。愚管抄をあらわしたことでも知られています。

 歌の大意は「夢に菅公をみて、その苦労を思って泣けてきた」ということです。例によって、声を上げる意味の「」は「寝」と、「心づくし」は「筑紫」に掛けています。「筑紫」といえば菅公が左遷された太宰府のあるところです。

 詞書に「北野によみて奉り侍りける」とあるので、菅原道真をしのんで北野天満宮に奉納した歌です。慈円は、菅公から三百年以上後世の人で、神祇歌というからには、神さまに敬意の念をあらわして詠んだ歌です。われわれにはただのシャレとしか思えませんけど、もちろん真剣に詠んでいます。そういえば菅公自身の歌にも掛け言葉が多く使われています。たとえば、百人一首に入っている『このたびはぬさもとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに』の、「この旅」と「この度」のように…。

9292(北野天満宮梅苑にて)

 さて、先日訪れた北野天満宮の梅苑に、「土筆」が生えているのを見つけました。実に見事なもので、自然に生えているにしてはすばらしくきれいな群落です。もしかしてこれも「筑紫」つながりでしょうか? あるいは北野天満宮の粋な計らいなのかもしれません。そうだとすれば、現在に至るまで、天神様がいかに言葉遊び好きかということがわかります。

 …というわけで、つくづく(し)感心した次第です。

(勝手な鑑賞であることをお断りしておきます)

【929】

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