梅花(菅原道真)
菅家後集より、菅原道真の漢詩です。
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「梅花」(ばいか)
宣風坊北新栽処(せんぷうぼうのきた あらたにうえしところ)
仁寿殿西内宴時(じじゅうでんのにし ないえんのとき)
人是同人梅異樹(ひとはこれおなじひと うめはことなるき)
知花独笑我多悲(しんぬ はなのみひとりえみて われはかなしみのおおきことを)
意訳:宣風坊の北側に新しく植えた梅。仁寿殿の西側で宮中の内々の宴があったときの梅。見るのは同じ私だけれど、ここ大宰府の梅はそれらとは異なる木。梅の花はひとり笑って咲き誇るけど、私の悲しみは増すばかりだ。
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この詩は、菅公が太宰府に左遷された翌年、延喜2年(902)のものとされます。没年の前年の作品です。
菅公の自邸は、五条坊門西洞院にありました。現在の菅大臣神社のあたりです。「宣風坊」とは、自邸付近(平安京左京五条の辺り)の中国風の呼び名です。自邸には紅梅が多く咲いていたので「紅梅殿」と呼ばれていました。また「仁寿殿」というのは内裏紫宸殿の北にあった建物(「じじゅうでん」とも「じんじゅでん(にんじゅでん)」とも読みます)で、仁寿殿の西側にも紅梅がありました。
そして太宰府にも紅梅は咲きました。けれども自邸の紅梅とは違う。宮中の「内宴」(宮中での私宴のこと。天皇が臣下の労をねぎらうときなどに開かれた)で見た紅梅とも違う。見ている人は同じでも、場所が違う。なによりも気分が違う。菅公の悲しみは増すばかりです。梅の花は笑っていても自分の心は悲しいばかりだ、という言い方は、菅公の梅花好きを象徴しています。作者はいじけています。心が屈折しています。『自分は何もしていないのに、どうしてこのような憂き目にあわなければならないのか、自らの境遇を思うと、情けないし腹が立つ』
太宰府以後の作品を集めた菅家後集の詩は、このような怨嗟を述べたものばかりです。後世怨霊になって恐れられ、学問の神様に祭り上げられる道真公ですが、詩作にあたっては素直な気持ちを述べているだけです。無実の罪にひたすら耐えているようで、感動します。
(北野天満宮の紅梅)
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