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2014年4月15日 (火曜日)

花見てはいとど家路ぞいそがれぬ待つらむと思ふ人しなければ(後徳大寺左大臣)

 新古今和歌集巻八哀傷歌より、後徳大寺左大臣の歌です。

「公守朝臣母、身まかりてのちの春、法金剛院の花を見て」

花見てはいとど家路ぞいそがれぬ待つらむと思ふ人しなければ

意訳:(公守の朝臣の母が亡くなって後の春、法金剛院の花を見て詠んだ歌)今年の春は花見に来ても一向に家路を急ぐ気になれない。帰りを待っている人がいないので。

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 わかりやすい歌です。詞書の「公守(きんもり)朝臣母、身まかりてのちの春」には、幼い子供を残して亡くなったことを暗示しているように思います。家で待つ人がいなくなって悲しんでいるのは、夫の自分と子供の公守の両方でしょう。「いそがれぬ」でいったん切れているのも効果的です。「待つらむと思ふ人しなければ」は、作者のため息ともとれ、悲しみを増幅させています。

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 後徳大寺左大臣は、平安時代末期の公卿で歌人の藤原実定(ふじわらのさねさだ、1139-1192)のことです。百人一首81番「ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる」の作者です。

 法金剛院は、JR嵯峨野線花園駅前にあります。京都市内有数の桜の名所のひとつです。待賢門院と西行の出会いでも知られていますが、当時と比べ現在は寺域を大きく縮小しているとのこと。落ち着いた雰囲気の中、見事なしだれ桜に往時がしのばれます。

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