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2014年4月23日 (水曜日)

大いなる春といふもの来るべし(素十)

 ホトトギスの4Sのひとり、高野素十の句を鑑賞します。

大いなる春といふもの来るべし】(おおいなるはるというものきたるべし)

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 筆者好みの句です。意訳すると価値が半減してしまうので、今回は省略します。左京区の「哲学の道」に句碑があります。

9704 (左京区、哲学の道)

 筆者がたずねたのは、さわやかな好天の日でした。哲学の道といえば、京都市内有数の観光名所です。今回行ってみて驚いたのは、外国人観光客が大勢散歩していることでした。すれ違うのはほとんど外国人でした。昨今の円安のおかげもあるでしょうが、どうやら日本人は「桜」や「紅葉」を目当てに哲学の道を歩くようで、花やモミジの散ったあとに残る「哲学」には興味がないようです(笑) 日本に哲学者が少ないと言われるのは、こういうところにも原因があるのかもしれません。

9702 (拡大可)

 で、素十の句碑は、それと知って探さないと見落としそうなところにありました。ようやく見つけたときには、うれしさのあまり思わず「あった~」と大きな声を出してしまいました。

『おおいなる はるというもの きたるべし』

 それにしてもいい句です。筆者は、芭蕉の「於春春大なる哉春と云云(ああはるはるだいなるかなはるとうんぬん)」を初めて鑑賞したときに大きな感動を受けましたが、それに勝るとも劣らない好句だと思います。残念なのは、句碑に彫られている書体が細く、目立たないことです。句柄が大きいだけに、ちょっとさびしい気もします。

 こういう句に理屈は不要です。まもなくゴールデンウイークを迎えます。外国の方、日本の方を問わず、ひとりでも多くの方が、京都の春、日本の春を満喫していただけたらと思います。

【970】

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