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2014年4月16日 (水曜日)

われわれも花に袖する御室かな(蘭更)

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 仁和寺の「御室桜」をたずねました。

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 ふだん境内参観は無料ですが、桜の季節だけは有料となります。好天の元、大勢の観光客が詰めかけていました。

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 本日の表示は「散りぞめ」でした。遅咲きで知られる御室桜も、さすがに終盤なのでしょうか。

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 なんのなんの、まだまだ見ごろのようでした。御室桜は「花の低い」のが特徴です。“わたしゃお多福 御室の桜 はな(鼻・花)は低ても 人が好く”という俗謡で知られています。

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 というわけで、本日の鑑賞です。天明の中興俳諧を担った俳人のひとり、高桑蘭更(たかくわらんこう、1726-1798)の「半化坊発句集」から拾ってみました。

われわれも花に袖する御室かな】(われわれもはなにそでするおむろかな)

 この句、いったい何が言いたいのでしょう。ポイントは「花に袖する」です。「袖にする」で、粗末に扱う・冷たくするの意ですから、闌更一行が御室に来た時、事情があって満足に花見もせずに帰ってしまった、というのでしょうか? あるいは「われわれ」とあるので、何らかの故事の連想かもしれません。

 醍醐天皇の勅により菅原道真が太宰府に左遷されるとき、お父さんの宇多法皇に助けを求めてここ御室仁和寺をたずねたけれど、法皇は勤行のために会ってくれなかった、という伝説があります。要するに、道真は法皇に「袖にされた」わけです。もしや、この話と関係があるのかな? と思ったりもしましたが、あてにはなりません。

 いずれにしても、天下に知られた名勝御室の桜を、大胆にも「袖する」と詠んだところが俳諧なのでしょう。句の背景は勝手に想像するしかないとしても、リズムのよい、雰囲気のある一句だと思います。

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 ↑「花に袖」…闌更の句を真似て記念撮影した次第。(苦笑)

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コメント

 子規の「病状六尺」で蘭更の名を知り、あれこれ検索していて、こちらに迷いこみました。そして、こちらのブログを読んで、仁和寺の三室桜とその花の低さのことを初めて知りました。教えていただきました。ありがとうございます。
 その花の低さに、蘭更一行もおどろいたのではないでしょうか。近づけば自分たちの袖が、花に触れそうだという和やかな驚きを、袖にするということばをひねって使ったのではないでしょうか? ご掲示いただいている写真からそんな解釈をしたのですが、単純すぎますでしょうか。(東京と埼玉の県境を流れる柳瀬川の 川男です)

こんにちは・・単なる感覚ですが・・w”袖にする”と”袖する”ではちょいと・・。
”袖振る”とは元々相手の魂をこちらへ招き寄せる呪術であったと。
遠くの人に手(袖)を振ってこっちこっち~とやるような。
ですから”袖する”とは、花(女性かもw)に袖を振ってしまう感覚。
満開の御室の桜の花々に、
 われわれも 桜の花(の性に)袖を(振って近づいて欲しくなる程見事な)
 御室(の景観)だよな~
・・してみると”袖にする”とは手の様に脇に置くが手を入れないかもしれない。
目指すものでは無くなったという事ではないかな?

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