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2014年4月 7日 (月曜日)

はかなくて過ぎにしかたを数ふれば花に物思ふ春ぞ経にける(式子内親王)

 新古今集春歌下より、式子内親王の歌です。

「百首歌に」

はかなくて過ぎにしかたを数ふれば花に物思ふ春ぞ経にける

(はかなくてすぎにしかたをかぞうればはなにものおもうはるぞへにける)

(意訳)はかなく過ぎ去ってしまった年月を数えてみれば、花に物思いする春ばかりが心に残っている。(…でも、毎年春に美しい姿を見せてくれる桜には、感謝の気持ちもあるのよ)

 この歌、晩年の式子内親王が自らの来し方を、桜になぞらえて詠んだ歌のように思います。作歌の場面を勝手に想像してみます。

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 老齢の式子内親王が、満開の桜を眼前にしています。桜の花は一斉に咲いたかと思えば、あっという間に散ってしまいます。「花七日」というように、「はかないもの」「盛りの短いこと」のたとえです。内親王の人生も、はかないものでした。

 『桜花よ。はかなくも散ってしまう運命にある桜花よ。私にも盛りはあったわ』

 満開の桜を前にして彼女はつぶやきます。

 『思えば私の人生は、この桜と同じだった。今を盛りと花開いたところで、散ってしまえば、所詮はかないってこと』

 内親王の胸に去来するのは、若いころのことでした。

 『恋の悩み、人間関係の煩わしさから、物思いにふけるのもいつもこの春の季節だった。桜が咲きだすといろんな出来事を思い出すの…。とはいえ年月を経て、今年もまた満開の花を愛でることができるのは、とてもすばらしいことね。むしろ桜花には感謝しないといけないのかもしれない』

ーーーーー

 というような心の動きを想像します。

 ポイントは初句の「はかなくて」です。「花」と自らの「人生」の両方にかかっています。年老いた内親王のため息が聞こえます。そして「花に物思ふ」には、単なる物思いだけでなく、時として憂鬱な気分をやわらげてくれた桜への感謝の気持ちをも含んでいるように思います。ちなみに式子内親王は五十三歳で亡くなったとされます。いい歌です。

※もとより勝手な鑑賞であることをお断りしておきます。

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