朝まだき曇れる空を光にてさやけく見ゆる花の色かな(兼好法師)
兼好法師集より。
「朝曇りの空いとおもしろし」
【朝まだき曇れる空を光にてさやけく見ゆる花の色かな】
(あさまだきくもれるそらをひかりにてさやけくみゆるはなのいろかな)
(意訳)朝早く、曇り空からもれるわずかな光の中に、なんと鮮やかに見える花(桜)の色であろうか。
※さやけく=きれいに、あざやかに見えるさま。
ーーーーー
本来、桜は光あふれる好天の元、満開に花開いてこそ鑑賞すべきもので、曇天は嫌われるものです。それを作者は、かえって曇り空の早朝、あたりがいまだ薄暗い中なればこそ、色鮮やかに見えると言います。兼好法師といえば、徒然草の137段に
『花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。雨に向ひて月をこひ、たれこめて春の行方も知らぬも、なほあはれに情深し。…』
との文章があり、間接的には同様のことを言っています。風雅集春下に、
「朝藤といふ事を」
【紫の藤咲くころの朝曇り常より花の色ぞまされる】
(意訳)藤の花の咲く日の朝。今朝は曇り空ゆえに、いつもより一層きれいに見える。
との歌があり、類似性を指摘されます。とはいえ、兼好法師にとっては、満開の花というより、桜の木自身の生命力、あるいは自然そのものに興味があったことがわかります。表題歌は、大いなる自然の中の、大いなる桜賛歌というべきでしょう。
(勝手な鑑賞であることをお断りしておきます)
【951】
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