はいかいの口すぎになる桜かな(一茶)
一茶の句です。
【はいかいの口すぎになる桜かな】(はいかいのくちすぎになるさくらかな)
(意訳)俳諧をたしなむ身にとって、桜は生計を立てるための大切な存在であることよ。
※口すぎ(口過ぎ)=生計を立てること。なりわい。糊口。
「雪月花」というように、冬の雪、秋の月、そして春の桜を愛でるのが、古来よりの風流の最たるものとされています。いったい、これまでにいかほどの桜の詩歌が詠まれてきたことでしょう。もはや詠み尽された感さえあるほどです。にもかかわらず、一俳諧師の自分にとって、桜は愛でるだけではなく、欠かすことのできない「口すぎ」の種だというのですね。発想がユニークで、いかにも一茶らしい句です。 この季節…、
右を見ても、

左を見ても、
昼も、
夜も…、どこもかしこも桜一色です。
私は俳諧師ではないので、さすがに「口すぎ」にはなりませんが、桜が咲いているかぎり、ブログネタに事欠くことはありません。一茶ならずとも、古典詩歌をネタに日々ブログを書く者にとって、桜は特別な存在です。どうかいつまでも散らないでほしいなぁ(笑)
【952】
« 朝まだき曇れる空を光にてさやけく見ゆる花の色かな(兼好法師) | トップページ | 見かへればうしろを覆ふ桜かな(樗良) »
「 勝手に鑑賞「古今の詩歌」」カテゴリの記事
- 夏風邪はなかなか老に重かりき(虚子)(2014.05.21)
- 後夜聞仏法僧鳥(空海)(2014.05.20)
- 夏といへばまづ心にやかけつはた(毛吹草)(2014.05.19)
- 絵師も此匂ひはいかでかきつばた(良徳)(2014.05.18)
- 神山やおほたの沢の杜若ふかきたのみは色にみゆらむ(藤原俊成)(2014.05.17)
« 朝まだき曇れる空を光にてさやけく見ゆる花の色かな(兼好法師) | トップページ | 見かへればうしろを覆ふ桜かな(樗良) »

コメント