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2014年4月 5日 (土曜日)

はいかいの口すぎになる桜かな(一茶)

 一茶の句です。

はいかいの口すぎになる桜かな】(はいかいのくちすぎになるさくらかな)

(意訳)俳諧をたしなむ身にとって、桜は生計を立てるための大切な存在であることよ。

※口すぎ(口過ぎ)=生計を立てること。なりわい。糊口。

 「雪月花」というように、冬の雪、秋の月、そして春の桜を愛でるのが、古来よりの風流の最たるものとされています。いったい、これまでにいかほどの桜の詩歌が詠まれてきたことでしょう。もはや詠み尽された感さえあるほどです。にもかかわらず、一俳諧師の自分にとって、桜は愛でるだけではなく、欠かすことのできない「口すぎ」の種だというのですね。発想がユニークで、いかにも一茶らしい句です。 この季節…、

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 右を見ても、

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 左を見ても、

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 昼も、

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 夜も…、どこもかしこも桜一色です。

 私は俳諧師ではないので、さすがに「口すぎ」にはなりませんが、桜が咲いているかぎり、ブログネタに事欠くことはありません。一茶ならずとも、古典詩歌をネタに日々ブログを書く者にとって、桜は特別な存在です。どうかいつまでも散らないでほしいなぁ(笑)

【952】

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