五条の天神(京童より)
江戸時代のはじめに出版された、京都で最初の名所案内記「京童」に次のような記事があります。
○五条の天神
此御やしろは。少彦名命と申奉る。天下の萬物のやまひをおさめたまへる御神也。毎年せちぶんに人みなまうでゝおけら餅などうくるはやまひをのぞく例(れい)なり。もし又世のなか騒動の事あれば看督長のおひたる靭(ゆき)をかけられけるなり
【花もまだすくなひこなやをそざくら】
(新修 京都叢書第一(臨川書店刊)所収「京童」より)
ーーーーー
江戸時代のはじめに出版された、京都で最初の名所案内記「京童」に次のような記事があります。
○五条の天神
此御やしろは。少彦名命と申奉る。天下の萬物のやまひをおさめたまへる御神也。毎年せちぶんに人みなまうでゝおけら餅などうくるはやまひをのぞく例(れい)なり。もし又世のなか騒動の事あれば看督長のおひたる靭(ゆき)をかけられけるなり
【花もまだすくなひこなやをそざくら】
(新修 京都叢書第一(臨川書店刊)所収「京童」より)
ーーーーー
江戸時代後期の京都案内書である都名所図会に、「鏡石(かがみいし)」という名所が載っています。都名所図会は安永9年(1780年)に刊行され、ベストセラーになったといいます。掲載されている名所・旧跡は今日も観光客でにぎわっているところがほとんどで、江戸時代との違いを比較するのが、古典としての都名所図会の楽しみ方のひとつです。
ところがこのおじさん、長年京都に住んでいますけど、「鏡石」なる名所は、見たことも聞いたこともありません。これはいったいどういうことなのでしょう? 当時のベストセラーに、まったくのデタラメが書かれているとも思えません。
ーーーーーーーーーー
そもそも鏡石とは何なのか? まずは、本文を引用してみます。
(西寺跡)
西寺跡を訪ねる機会がありました。平安京創設当時は東西に大寺を設けましたが、いまは東寺だけが残って西寺は消滅してしまいました。以下は、京都で最初の名所案内記ともいうべき「京童」にある句です。
ーーーーーーーーーー
この季節、梅の花が盛りを迎えています。梅といえば真っ先に思い浮かぶのが天満宮です。新古今集巻19神祇歌に、天神(菅原道真)御歌とされるもので、境内の梅は折り取ってはいけないことを詠んだ歌があります。
【なさけなく折る人つらしわが宿のあるじ忘れぬ梅の立ち枝を】(なさけなくおるひとつらしわがやどのあるじわすれぬうめのたちえを)
図書館で見つけた「元禄世間咄風聞集」という本に、比叡山登山についての興味深い話を見つけました。簡単に意訳してみます。「元禄世間咄風聞集」は元禄七年~十六年の間の江戸の世間話、噂話を書きとめたもので、次の話は元禄十年(1697年)のものらしいです。
ーーーーー
一枚の葉っぱが落ちるのを見て年の暮を知る…、このことわざは、『小事をもって大勢を知る』ことのたとえです。中国の古典淮南子(えなんじ)あるこの言葉、原文にあたって鑑賞してみました。
ーーーーーーーーーー
子曰、不憤不啓、不悱不発、挙一隅不以三隅反、則不復也(述而第七・8)
『子曰く、憤(ふん)せずんば啓(けい)せず、悱(ひ)せずんば発(はっ)せず、一隅(いちぐう)を挙げて三隅(さんぐう)を以て反(かえ)らざれば、則ち復(ふたた)びせず』
【則非知之難也、処知則難也】
これは、韓非子の説難(ぜいなん)篇にある言葉です。要約すれば、
『物事の真実を知るのは決して難しいことではない。知ったことがらに対してどのように対処していくかが難しいのだ』
という意味の格言です。処世術のひとつとして知られるこの言葉には、どういう背景があるのでしょうか。原文にあたってみました。
ーーーーーーーーーー
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | ||||
4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
25 | 26 | 27 | 28 | 29 |