「ふしみ」はダジャレにしやすいのか? (時代による「伏見」考)
伏見について。
ふしみという言い方は、時代によってどのように解釈されてきたのか? 和歌などを参考に考察してみました。
(ここでいう伏見とは、京都市伏見区を指します)
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●【万葉時代】
万葉集巻9(約1200年前)に次の歌があり「ふしみ」の語源とされています。
【1699 巨椋乃 入江響奈理 射目人乃 伏見何田井爾 雁渡良之】
(おほくらの いりえとよむなり いめひとの ふしみがたいに かりわたるらし)
「巨椋(おほくら)」というのは今の宇治川の南側に昭和二十年代まであった巨椋池(おぐらいけ)という大きな池(湿地帯)のことです。その後埋め立てられて、いまは「小倉」という地名だけが残っています。歌の意味は
『巨椋池の入江に雁の鳴き声が響きわたっているよ。伏見の田んぼに雁が飛び渡るに違いない』
ということです。
「射目人乃(いめひとの)」というのは、伏見にかかる枕詞です。深い意味はないのですが「射目」という字を使っているところをみると、狩人を暗示していると考えられます。 とすると「伏見」とは「狩人が雁を射落とすため体を伏せて見ている」という意味になります。ここでは、ふしみは『伏身』または『伏見』です。
●【平安時代】
次の歌は後拾遺和歌集(約900年前)に出てくる橘俊綱の歌です。
伏見といふところに四条の宮の女房あまたあそびて、日くれぬ先にかへらむとしければ
【1146 みやこ人くるればかへるいまよりはふしみのさとのなをもたのまじ】
(都人 暮るれば帰る 今よりは 伏見の里の 名をも頼まじ)
平安時代になると伏見には貴族の別荘ができます。伏見の南、宇治の平等院は藤原頼通の別荘として有名ですが、そんな別荘が伏見にもたくさんありました。伏見は京の都から約10キロ。ゆっくり歩いて3~4時間、往復しても日帰り圏内でした。この歌の意味は、
(ふしみというところに四条の宮の女房がたくさん遊びに来たが、日が暮れぬうちに帰ろうとするので)
『都から訪ねてくる人も日が暮れると帰ってしまう。ふしみ(=この場合は男女が一緒に夜を過ごすこと)なんていう名前はあてにならないものだなあ』
となります。ここでのふしみは『臥身(横になって寝る)』です。
●【鎌倉時代】
鎌倉時代初頭の新古今和歌集巻6(約800年前)に、藤原有家の歌で
同じ家にて、所の名を探りて冬の歌よませ侍りけるに、伏見里の雪を
【673 夢かよふ道さえ絶えぬくれたけの伏見の里の雪のしたをれ】
(夢通う 道さえ絶えぬ 呉竹の 伏見の里の 雪の下折)
(同じ家にて、所の名を探り冬の歌を詠ませた時に「伏見の里の雪」を)
『雪で道が閉ざされ、さらに夢路さえ途絶えてしまった。竹が雪の重さで折れる音で目が覚めてしまったから』
となります。この歌は伏見に関して大変有名な歌で、いまでも『呉竹の伏見』と呼ぶくらいです。現在、丹波橋駅近くには「京都市呉竹文化センター」という施設もあります。なぜ「呉竹」が「伏見」なのかというと、「呉竹」の『節』と「伏見」の『ふし』とを掛けているわけです。この歌でのふしみは、意味的に『臥身』と『節見』の両方にかかっています。きっと当時は竹薮がいっぱいあったのでしょう。
●【室町・江戸時代】
室町時代から江戸時代(約500年前~150年前)になると「ふしみ」は『伏水』と書かれるようになります。これには説が二つあります。
A説=このころから伏見では酒作りが盛んになります。お酒を作るには上質の地下水が必要です。伏見には地下水が豊富にあるので『伏水』、要するに伏流水という説です。
B説=このころから淀川を利用した十石船・三十石船などの往来が盛んになって伏見に港ができます。それが『伏見津(ふしみつ)』です。その“ふしみつ”が“ふしみず”になって『伏水』と書くようになった、という説です。
酒作りはいまでも盛んに行われていますので、伏見の酒屋さんはAの『伏流水』説を主張していますが、さてどうでしょうか? Bの『伏見津』説も捨てがたいです。
●【明治~現代】
現在では当然のことながら伏見と書きます。これは、明治12年(西暦1879年・約130年前)に京都府令で
「今後は『伏見』を公式名とする」
と決められたからです。その後、昭和4年に伏見市ができ、昭和6年に京都市と合併して現在の『京都市伏見区』になりました。
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というわけで、身を伏せる『伏身』からはじまって、横になって寝る『臥身』、竹の『節見』、伏流水または伏見港の『伏水(伏見津)』、そしてお役所の公式見解である『伏見』と、時代による「ふしみ」の詠まれ方・書かれ方をたどってみました。
どの時代も「ふしみ」と呼ぶことに変わりはないのです。ただ、なぜ「ふしみ」なのか、時代によって違うのがおもしろいです。そして、すべてがこじつけまたは語呂合わせです。昔も今も日本人の言葉に関する興味は同音異義語、つまりダジャレにある、ということではないでしょうか。よくぞ、これだけのふしみを考え出したものだと思います。
以上、ほととんぼの「ふしみ発見!」でした(笑)
(それなりに調べて書きましたが、一考察であることをおことわりしておきます)