「もぐらの願い」(創作)
ほととんぼ
もぐらという動物がいます。ほとんど土の中で暮らしている前足がシャベルのように発達したトンネル掘りの名人です。「もぐら」という名前は、土の中に「もぐる」という意味からついたのでしょうが、彼らは何も好きこのんで土の中に潜っているのではないのです。本当は太陽の光の中で草原を跳ね回りたいのです。土の中で一生を終えるのは、もぐらの望むところではありません。もぐらには地上で暮らしたいという強い願望がありました。
大昔、もぐらは土の中には住んでいませんでした。ネズミやリスのように、普通に地上で暮らしていました。ところが、もぐらはとても悪い生き物でした。ほかの動物たちから食べ物を奪ったり、けんかして傷つけたり、住みかを襲ったり、いたずらというにはあまりにひどく、地上で一番嫌われる動物でした。
ある日のこと、神様が、もぐらのひどいしわざを見て言いました。
「もぐらよ、おまえたちは、どうして他の生き物をそんなにいじめるのだ。同じ地上で暮らしているのに、仲良くできないのか。ネズミもリスもみんな相手のことを考えて助け合っているではないか。もぐらだけが、そんなことではいけない。仲良くしなさい」
もぐらは神様の言うことに耳を貸そうとはしませんでした。前と同じように悪さばかりを繰り返しました。とうとう神様は怒ってしまいました。
「もぐらたちよ。私がこれほど言ってもわからないのか。もうこれ以上、地上の世界に住むことは許さない、今日かぎり地下の世界に住むのだ。今後、地上に出ていくようなことがあれば、太陽の光を浴びた瞬間に目はつぶれ、死んでしまうだろう」
そう言って、地下のトンネルの中へ閉じ込めてしまいました。
もぐらはとても困りました。トンネルは真っ暗です。食べ物も自分で探さなくてはなりません。ほかの動物から食べ物を奪っていたときには、なんの苦労もなかったのに、地下の世界にはとうてい耐えることができません。地上へ逃げ出そうとして、何十万匹も何百万匹も、太陽の光にふれて死んでいきました。もぐらは、いつのまにかとても少なくなり、種を守ることができないくらいに減ってしまいました。それでも神様は許しませんでした。ただ一万年に一度、地下に住むもぐらがどんなふうにしているか、姿をあらわして観察することにしたのです。そして、十万年のあいだ地上に出ようとしていなければ、一つだけ願い事をかなえてやることにしたのでした。
②
長い長い年月が流れていきました。
山の奥の、大きなクスノキの下に、もぐらの夫婦が住んでいました。夫はアザ、妻はモルという名前でした。ずっと前からそこに住んでいるらしく、クスノキの根のまわりにはトンネルが四方八方に広がっていました。二匹のもぐらは、生まれた時から地上の世界を知りません。真っ暗な世界で暮らしていました。だから自分たちの姿を一度も見たことがありません。匂いと声だけで意思を通じあっていました。子供には恵まれませんでしたが、二匹は幸せでした。アザの妻を思う気持ちと、モルの夫を思う気持ちは、姿など見えなくても、子供がいなくても、分かり合っていたのです。
冬の寒い夜のことでした。アザは重い病気にかかり、トンネルの一番奥に枯れ葉を集めて横たわっていました。体を震わせて、自分の命が長くないことを知っているようでした。
「ねえ、モル、モルはいるかい」
夫は、弱々しい声で妻を呼びました。
「はい、ここにいます」
「ぼくはもう長くは生きられない。最後に言っておきたいことがある。よくお聞き。ぼくはね、一目でいいから愛するおまえの姿を見ておきたかった。でも、かなうことなく、このまま死んでしまうだろう。子どものころ、穴の上には地上という、明るい世界が広がっていると、母親に聞いたことがある。そこは信じられないほどの広い世界だそうだ。モル。ぼくが死んだら、地上に出て暮らしておくれ。もぐらは地上に出ればとても強い動物なんだ」
「わかったわ。アザ」
大きくうなずいて、モルは夫の手を握りました。トンネルには、妻の幸せを願うこころが、気となって漂っていました。モルには、夫が今どんな気持ちなのか、匂いだけでなく、からだ全体でかぎわけることができました。
「わたしだっていつまでも穴の中にいるのはいやです。あなたの姿を見てみたい。二人で一緒に地上へ行きましょう。早く元気になって!」
モルは、新しいトンネルを掘って見つけてきた地下水を口に含ませました。
「ありがとう。モル。愛しているよ」
アザは最後の力をふりしぼって起き上がりました。
「地上へはどうして行けばいいのですか。トンネルを掘っていけばいいのですか」
「そのまま出てもだめだ。地上の明るさに耐えられない。大昔、もぐらは地上に住んでいた。だから今でも目を持っているけど、つぶれて死んでしまう。魔法がかけられているんだ」
アザはますます苦しそうに、弱々しい言葉になりました。
「魔法?」
「光を浴びると死んでしまうという魔法だ」
「じゃあ、どうすればいいの」
「神様にお願いしなさい」
「神様!」
「もぐらは神様にトンネルの中へ閉じ込められてしまったんだ。なんとか魔法を解いてもらわなければ、絶滅してしまう」
モルは、初めて聞く神様の話にびっくりしました。
「今日は、神様がこのトンネルにやって来る日だ。もぐらがどんなふうに暮らしているか、様子を見にトンネルの中にやってくる。そして、地上に出ていったもぐらがいないことを知ると、望みをかなえてくれるんだ」
「地上へ出たいってお願いすればいいのね」
「そうだ。魔法が解ければ地上に出ていける。お前はもぐらの種を守るために、魔法を解いてもらって…おくれ…、お願い…約束…」
アザはそのまま深い眠りにつきました。
「死なないで!」
モルは、くんくんと、アザに頬ずりして泣きました。愛する夫は冷たくなっていくばかりです。真っ暗なトンネルに、モルの泣き声が響きました。
③
どのくらいの時間が過ぎたでしょうか。悲しみにくれたモルがふと顔を上げると、向こうの方にぼんやりと光が見えます。モルは、すぐにそれが光だということに気がつきました。光はどんどんこちらに近づいて来ます。モルは小さな目をパチクリと開きました。神様が来たのだと思いました。目の前に、ぼんやりと影が浮かんで見えました。
「おまえはモルか?」
光の中から声が聞こえました。モルは勇気を出してこたえました。
「はい。そうです」
「お前たちがどんなふうに暮らしているか、見回りにきた。どうだい、地上に出ようなんて気持ちは起こしていないだろうな。もぐらは地上へ出てはいけない。その瞬間に目がつぶれて死んでしまう」
神様は大きな低い声でモルに話しました。
「大丈夫です。この十万年の間、地上に出たもぐらは一匹もいません」
「それならいい。おまえたちもぐらにいじめられた動物がどれほどつらかったか、思い知らねばならない。その償いは果たさねばならない」
「今、わたしたちは一生懸命生きています!」
「おまえの夫はどうしたのだ」
神様はそばに横たわっているアザの方を向いて尋ねました。
「アザはさっき死にました。神様が来ると言い残して、死んでしまいました」
「そうか、それは気の毒なことだ。だがモルよ。世の中のすべての生き物には寿命というものがある。生あるものは死ぬときが来る。アザは私のもとへ連れて行こう」
神様はアザの方へ歩み寄るとゆっくりと抱き上げました。
「そうだ、モル。何か望みはないか。地下に閉じ込めたとはいえ、もぐらがどんなふうに暮らしているか、とても気になるのだ。地上へ出たもぐらが一匹もいないということを聞いて安心した。何でもいい、願いをかなえてあげよう」
「はい、わたしの願いは…もぐらのために魔法を解いて…地上へ出られるように……」
モルは言葉を切りました。そして、大きな声で言いました。
「神様。わたしの願いはただひとつです。夫を元気な姿に戻してください。わたしには夫が必要なんです!」
モルにはアザと約束したこと、もぐらの種を守ることは、どうでもよくなっていました。二人の楽しかった思い出が、アザの笑顔が、「愛しているよ」と言ってくれるやさしい笑顔が、次から次へと脳裏に浮かんでは消えていきました。モルは一生懸命にお願いしました。涙が、次から次へとあふれてきました。
「…お願いですから、アザを連れて行かずに、一緒にいさせてください…お願いです」
「わかった。おまえのその願いをかなえてやろう。もぐらは地上へ出られなくてもいいのだな。それよりも、夫を元気にしてほしいのだな。おまえの夫を愛する気持ちはよくわかる。願いをかなえてあげよう。明日目覚めたときには、アザは前のように元気になっているはずだ」
「わたしは地上になんか出て行きたくないわ。広い世界なんて必要ありません。トンネルがあります。新しいトンネルを掘って食べ物を探すこともできます。だけど、愛する人はアザのほかありません。アザなしでは生きていけません。神様、お願いです。夫を元気な姿に戻してください」
「モルよ。アザと幸せに暮らすがいい。ただ、もぐらは二度と地上には出られない。お前たちには子供もない。いずれ絶滅して、種を守れないかもしれない…」
モルは黙ったまま、深々と頭を下げました。そして長い沈黙のあと、頭を上げたときには、もう神様の姿はありませんでした。
長い長い年月の後、いつのまにかもぐらには目がなくなってしまい、地上に出ても目がつぶれることがなくなりました。現在、日本固有のもぐらの一部の種類は絶滅危惧種に指定されています。一方、山の奥のクスノキの木の下のトンネルには、もぐらの願いが、トンネルの長さと同じだけ詰まっているということです。
(おしまい)